私の人生を狂わせたHADOという新世界(1)
※ 過去ブログから移行しました ※
今回は、完全にプライベートですが、想いのままに書きたいことを書きます。
というのも、私は HADO という ARスポーツ をやっています。
2017年12月3日 に HADO WORLD CUP 2017 に出場して優勝できたことが、自分の人生とっては革命的な出来事なのです。その時感じた想いなどを、ここに残しておきたいと強く感じました。
だから、この場に記すことにします。
Contents
2016年11月。
友人のリエに大会に出ようぜと誘われたところから、私のHADO人生は始まった。
もちろん私はHADOを知らなかった。リエがHADOの開発者と知り合いじゃなかったら、リエにも誘われなかったし、きっと始めなかったと思う。
HADO WORLD CUP 2016 は、HADOが出来て初めての大会。大会への参加権は抽選で決められた。経験・未経験関わらず、だ。リエと私は運良く当選することができた。メンバーが揃っていなかった私たちは、大会1週間前に何とか5人の女の子を集めて、非少女戦士セーラームーンを結成した。
大会当日、もちろん私たちは予選敗退。練習は1回しただけなので、そりゃそーだよな、と特に悔しくもなかった。
体験会に一度参加した時にみた、何やらとてつもないオーラをまとう人たちも、その場にいた。その人たちは準優勝。そりゃぁ、オーラちげぇーわ。なんか、SWATみたいな筋肉の人たちもいるし、やたらクオリティの高いコスプレの人たちもいる。
なんなんだこの世界は、と思いながらも、その雰囲気だけでとても楽しかった。
けれども、そこからちょっとの間、私の中からHADOは消えていた。
その時に舞台上で見たアメリカンな衣装の人たちと、まさか1年後、一緒にHADOをやるなんて、思ってもいなかった。
HADO再来
再び、私の前にHADOが現れたのは、2017年7月のこと。これもリエから誘われた。
去年あの場に居た、アメリカンな衣装の人たち「わちゃごな☆ピーポー」と練習するんだって。彼らは去年の大会で4位になっていた。
「え、そんな強い人たちが一緒に練習してくれるの?」
行ってみようかね!って軽い感じで返事していた私だった。
2017年7月8日。
ソプラティコ、というところに向かった。横浜関内にあるスパ施設だ。
HADOでは、こんな機材を手と頭に装着して闘う。2016年からバージョンアップされ、大きくルールが変わっていた。今では見飽きたこの機材も、この時はつい写真を撮ってしまうほど。
体験会的なものだと思ってたら、予想以上にみんなスポーツ着で驚く私w
私はというと、体操着も持たず裸足で、ワンピースで、7ヶ月ぶりにHADOに触れた。
それが運命を分ける日だった。
タカさんがお前上手いなと、言ってくれたのがこの時だった。
8月に入ってから、正式にチームに入るかどうかを決断することになったが、迷った理由はただひとつ。
この時、超絶プライベートでの活動が忙しい時。会社にも行きつつ、活動もしつつ、さらにHADOなんて出来るのか?バンドもバイオリンもあるし。
だが、「世界一」という誘惑には勝てなかった。そんな可能性をみすみす見逃す私ではなかった。
そんな、上手い人たちに上手いって言われたら嬉しいに決まってるしな!!
結果、練習時間があまり合いそうになかったリエは入らず、私だけ入ることになった。
新生わちゃごな
この時、メンバーは6人。
正直言って、私は邪魔である。2チームも作れやしない。
スタメンは、タカさんコーダイ、らいむで決まっていた。そんな中、私が入っても良くてベンチ、普通に考えて観覧サイドだ。(ちなみにこの時まだ歳も分からず、みんなさん付けで呼んでいたww)
そんな不安はあったが、いや、不安があったからか、練習にはほぼ休まず参加した。
8月だけで8回の練習。不思議と多くは感じなかった。
チーム編成が決まったのは、いつだったか、あまり覚えていない。「わちゃごな☆ピーポー」として試合に出られることになった。
後から入った身として、申し訳なさがあったが、それでもやはり嬉しかった。
SLAM DiVA 主催の練習会
HADO SUMMER CUP を前にして、あのSLAM DiVA 主催の練習会が開催された。
去年見た、あの SLAM DiVA 。
私にとって初の試合だった。まだ衣装もなく、これも去年見た、アメリカンなベストを借りて試合に出た。
勝てた。
自分が一番驚いた。それと同時に、HADOの楽しさをより一層実感した。
本当に世界一になれるかもしれない!そう思うと、もう頑張るしかなかった。
入った当初より、断然、HADOにハマっていた。
HADO SUMMER CUP 2017。
私は予選で試合に出ることができた。
途中で球が出なくなったりもしたが、負けはしなかった。
何よりも、タカさん、コーダイという安心感が大きかった。
決勝リーグには出ていない。
当然だと思う。ここは勝たなければいけない。タカさん、コーダイ、らいむを見守る私。
実力からしても当たり前。だが、なんとなく、やっぱり少し寂しかった。
それは、3人と同じほどの悔しさを感じられなかったから。まだ頼ってもらえるほどの力がないことは自覚しているからスタメンに不平不満は全く無いが、出ているのと出ていないのとではやはり感じるものを全く一緒には出来ない。
だからこそ、もっと強くなろうと思った。
サマーカップは、準優勝で幕を閉じた。
店舗大会優勝!
世界大会の出場権を得るべく、私たちは店舗大会に出場する。
ここでも、私は予選のみ。決勝は応援だった。
予選で負けたシャケーザ新鮮隊との決勝は、さすがの3人が2試合で終わらせてくれた。(2ゲーム先取の3ゲーム制)
私ももっと上手くならねば。
2017年10〜11月。
姉妹チームのわちゃわちゃ☆ピーポーと一緒に、アー写撮影をしたり、HADO WORLD CUP 出場チームとしてPV撮影をしたり、取材を受けたりエトセトラ。
この時期から面白い体験が増えてくる。
ダンサー集団の中に、私はポツンと非ダンサーとして入ってしまった。そのハードルは中々に高い笑
らいむちゃんにPV用の振りを考えてもらって、HADO練習前に人知れず練習をした。見られるのが恥ずかしいので、誰にも見られないように…。
まぁするといつも早く来るタカさんによく見つかっていたのだけれど。笑
浅草で撮ったPVは、本当に一生ものだ。
ほんとにみんなカッコいい。また、場所がこの上なくマッチしている。
いつかみんなで踊れたらいいなぁ。
私もみんなと踊りたい。
Qeticさんに取材を受けたこともいい思い出。まだまだカメラに慣れない。笑
11月の練習日は12回だった。これでもいくらか休んでいる。この月、私はテニスの大会とフルマラソンがあり、セッションも多かった。
最後の週なんて週6練習!!!
当初はもうどこか休もうかと思ったりもしたが、実際やってみると、この1週間が本当に良かった。この1週間が無ければ負けていたかもしれない。
一番嬉しかったのは、大会1週間前の4人の練習でタカさんコーダイvsらいむ私で闘った時。ほぼ1on1で、タカさんとコーダイが交代で相手になった。
半分以上、勝つことができた。
自分が一番驚いた。勝てると思っていなかった。逆にチームメンバーとして負けないでとも思っていたかもしれないw
だが、それを超えることで、もっと自分が貢献出来るのであれば、どんどん勝っていきたい。そんな風に思った。
終わってから駅で1時間も立ちながら作戦会議をした。大会前日も、マクドナルドで2時間の作戦会議をした。
夜寝る前も、昼休みの時間も、みんながみんなHADOのことを考えていて、LINEが鳴りやまなかった。それが楽しかったし、それだけ真剣に考えたかったし、そんな議論が大切だと思っていたから苦は全くなかった。
みんながみんな、アツイ。意見も出るし、アイデアもどんどん出る。何より、愛情と情熱が凄かった。改めてこのチームで良かったと、本当に感じた。
練習後は別れるのが寂しくて、ずっとそこに居たいと思う程に。
そんなこんなで迎えたHADO WORLD CUP 2017。
コーダイが来れないのは決まっていた。だから自分が頑張らなければと、より一層思った。
らいむ凄いんだよ。前日に疲れが取れる医薬品の錠剤を全員分買ってきてくれて、当日もレッドブル買ってきてくれて。本当にもうそれだけで嬉しい。
それでも緊張はするもので。
決勝に進まなければ。決勝に進んで、コーダイを笑顔で迎えなければ。
何よりも自分が勝ちたい。大好きな仲間を勝たせたい。自分のせいでは絶対に負けたくない。
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