プラレールを通して考えさせられた子供の言葉と思考の責任

UXライティング, 育児言葉の力

「子供は親の鏡」

昔から知っていたこの言葉が、今自分に返ってきている。

長男は現在2歳8ヶ月。言語発達はゆっくりさんだったので心配していたが、この数ヶ月で目まぐるしい成長を遂げた。

以前の息子はというと、山手線のことは「ま」、お水のことは「ディ」、バナナのことは「バ」と、圧倒的省エネモードの発話しかしなかった。

それが現在では、山手線のことは「まっちぇん」、お水のことは「おみず」、バナナのことは「ばなな(時にばややとも聞こえる)」と、省エネモードを脱却してほぼ正確に発話している。

抱っこを要求する時は「どうぞ(抱っこさせてあげます、って意味かな笑)」、否定する時は「めーめー(おそらくダメの「メ」)」と言っていたのは、まぁ可愛かったが、今ではちゃんと「抱っこ」と言うし、なんなら「抱っこ好き」とアピールしている。否定も「やだ」とはっきり言うようになり、それはそれでイライラが募ることも多々(笑)

そんな中、息子の口癖に新しい言葉が追加された。

「むぃ(無理)」

「できない」

完全に私の真似だった。鏡のように、私の口癖がそのまま移っていたのだ。まさしく、子供は親の鏡。

もともと「無理」「できない」という言葉は嫌いで、言われたくないし言わないようにしたいと思っていたが、子育ての中でつい言ってしまっていた。そのシーンは容易に思い出せる。

子鉄である長男は、プラレールに夢中だ。しかし、完全に繋がるようなレールを組むことはまだ難しい。ひとつカーブの向きを逆にするだけで、一本に繋げることの難易度はあがるのだ。そのくせ、複雑なレールを使いたがるのだからタチが悪い(笑)

繋がらないと、急に機嫌が悪くなる息子。もちろん、すぐ泣く。そんな時私は、レールが繋がらないことを説明するために、こう言ってしまうのだ。

「無理だよ」

これがダメだった。「無理」と言うだけでは、次の一歩が出なくなってしまう。なぜなら、対応策がその言葉からは何も出てこないからだ。

言葉はすぐに思考に繋がってしまう。だからこそ、言葉を教える私たち親の責任は大きい。私はこう言うべきだったのだ。

「そのままだと繋がらないよ。どうすれば繋がるかな?こうやってみたらどうかな?」

まず事実を伝える。それは「無理」という汎用的な言葉ではなく、「繋がらない」という事実をそのまま表現する言葉だ。「無理」「できない」という言葉は簡単だが、イコール事実ではない。本来は「繋がることができない」という言葉を省略してしまっているのだ。常日頃から省略に慣れてしまうと、表現が単調になってしまい、意図した通りに伝える力が身につかない。ここを面倒くさがってはいけない。

そして、思考に繋げるために「どうすれば」という言葉を使う。まだ2歳の息子には難しいかもしれないが、「現状は不可能でも対策は存在する」という思考の癖づけには大切なステップだ。ここで少し待ってみて、まだ難しそうだと感じたら、さらに「こうやってみたらどうかな?」と提案までくっつける。思考に繋げる投げかけと提案の間をどんどん長くすることができれば、自発的に考えられるようになるだろうと、そう思っている。

人間の言語発達とはどのようなものか、今までとても興味を持っていたが、子供を授かって初めて、間近で見ることができた。彼らは思ったよりも言葉を理解している。それを発していなくても、頭で理解できていることも多い。だからこそ、近くで新しい言葉を発する私たちは、自らの言葉に責任を持って、注意して言葉を選ばなければいけないと、強く感じた。

 

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